気がつかなかったことを気がついたときの感動は大きいと思いませんか。
なんのこった?
といわれそうですが、この夏、どこに行く予定もなく、せめて夏を味わおうと・・・昔見た加山雄三さんの若大将シリーズのDVDを借りにいこうと思いました。
さて・・・目指すタイトルはレンタル中。あまり見たという記憶にないけど、「ゴーゴー若大将」と「ハワイの若大将」を借りた。なにが面白いって、ストーリーのあっけらかんさもいいけど、やっぱり加山氏の音楽がいい!!!
それから加山氏のCDと、本をネット検索して探した。この人の魅力をもう少し知りたいと、思ったわけだ。
それと、いまテレビで流れているサンヨーというパチンコメーカーの「海〜〜よ〜」という歌交じりのコマーシャルが気になっていた。
あの歌はもしかしたら、加山雄三氏の作品??と思った。歌の雰囲気から・・・湘南サウンドとはいいたくないが、加山氏の雰囲気が漂っている。
それも検索したら、やはり、加山氏の作品だった。なんだ、それだったら、1992年24時間テレビでの谷村新司と歌った「サライ」はどうだ?といわれると、「海、その愛」(パチンコのCM)のほうが、これぞ加山!
という作品の傾向が強い。
日本音楽史上、はじめてのシンガーソングラーターである。当時、若大将の映画を見て加山雄三氏は、俳優だと思いこんでいた私や世間は、俳優が歌を作って歌っている・・・片手間のアルバイトだ・・・と思い込んでいたのでは無いだろうか。
加山氏の音楽履歴を見ると、幼少の頃から音楽がすきだったようである。「戦争中だったし、外で遊ぶというより、家にあったクラシックの音楽を聴くしかなかった・・」というが、それもリッパな音楽教育の環境である。住んでいた茅ヶ崎にレオニード・クロイツァー氏が住んでいた。加山氏は学校帰りにその家から流れてくるピアノに心を動かされたという。
そのクロイツァー氏にピアノを教わろうと、お母様が加山氏を連れてお宅を訪問した。弟子は取らないというのだ。
レオニード氏は、その6年前にフジコ・へミングにピアノを教えていたという・・・。クラシックの大家である。
小さな少年に教えるわけがない。驚いたお父様がピアノの先生をレオニード氏の奥様に紹介してもらったというが、指使いのあたりで、苦労したらしい。
しかしクラシックからスタートする音楽人生は、ミッシェル・ポルナレフ、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルをみれば、クラシックから離れても、そのごの音楽に大きな影響を与えている。
ベートーベンの皇帝に感動したのは12歳、何気に引いていたピアノから「夜空の星」が生まれたのは14歳。父上のために書くと宣言したピアノコンチェルトは、そのご弾厚作作曲として父上に捧げられた。
ギターとの出会いによりエルビス・プレスリーやベンチャーズから影響を受けた。その集約の入り口が「エレキの若大将」であった。
しかし、それでも世間は、加山氏の音楽を俳優の片手間だとしか論じなかった。
恵まれた環境と恵まれた才能・・・加山氏はスター街道をどんどん登っていった。
いま、思えば、わたしが子供だったとはいえ、あの「君といつまでも」はさることながら、「旅人よ」「夜空の星」は、好きだったし、男の子達も若大将をみて、ダンボールの厚紙でギターらしきものを作りそれを引くマネをしながら、歌っていた。
この子供である世代であっても、加山氏の歌はかっこいいと、歌われたのである。
ちなみに、若大将の映画は、私の住んでいた田舎では、二本立てでゴジラ映画や、ディズニーや、そのほかのアニメ(東映アニメではない)映画とともに上映された。
それゆえしらないうちに、若大将の映画をみるはめになっていたのである。そのことは、見たいと思わない映画であっても、末永く楽しい思い出として記憶に残っている。
それが、第二次若大将フィーバーに繋がっていくのでは無いだろうか。
ゴジラ、ディズニーその他のアニメを見たくて言った映画館でみたかっこいい大人の楽しい映画は、歌の記憶とともに残っていった。
ストーリーは忘れても、歌は忘れなかった。
あのエレキのかっこいい音も忘れなかった。
加山氏が70年に自己破産という大変なご苦労をされた時、テレビではあれほど出ていた加山氏を見ることはなくなった。経済苦境との戦いの中で、加山氏を救ったのは、海の仲間であり、家族であり、音楽だったという。
そのころ懐古主義ではなく、東京の映画館が行った若大将シリーズの上映が話題を呼んだという。そこから火がついて、またまたブームを呼び寄せることになり、仕事が追い風に乗り出したのだった。ファンには感謝しているとの言葉である。
そのファンとは、若大将が上映された頃まだ子供だった人や、父母に聞いて関心を持ったり、ふと耳にした音楽に惹かれた若者だったという。
追い風は大きくなり、いまだに新しいことに挑戦されている。ライブも必ず行う。
この間買った、アビーロードスタジオで収録したアルバムのなかに、山下達郎氏との対談が冊子になってはさんであった。
その中で、一流の音楽家とあって影響を受けたことはありましたかというと、加山氏はないという。
その頃の日本にはお手本になる人はいなかった・・・つまり、「誰もやらなかったことを僕はやってきた」のだ。
その証拠に、わたし・・・・子供だったわたしは、今、パチンコのコマーシャルに流れていた加山氏の歌に刺激された。
あれは加山氏の歌だってなんでわかったんだ?
歌の題名も知らないし、音楽番組も見ないくせに・・・・・
記憶のどこかでいいものは残っているのであろう。
今また、聞くことができた加山氏の歌に、新しいパワーをもらう思いである。
オススメ→
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「ALL BY MYSELF」
著作本「I AM MUSIC!音楽的人生論」